Rie’s My Life

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(現在進行形)

高校のはなし

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…高等学校。 

そう、

義務教育が終わった後に

さらに勉強したい人が行く学校です。

 

でも、今は

高校行くのが当たり前になっていて、

大学に行くことさえも

当たり前になりかけているような風潮で…。

 

私は、

以前ブログにも書きましたが

理由あって学校に行かない日が多く

出席日数が危うくて

…当然成績もよくなくてw、

 

でも

どうにかこうにか、

とある私立の女子高が私を拾ってくれました。

 

今思うと…あの入試問題、

小学生でも解けたかもしれない…というレベルのものだったなぁ(^^;)

 

私立とは言いますが、

「でも、お高いんでしょう?」と言いたくなるかもしれませんがw、

 

私の母校は学費が他校よりお安くて

しかも私は自治体の奨学金(貸付…)で通っていたので

実質、公立とほぼ変わらない状態だった…( ̄▽ ̄;)

 

私の母校は、

 

「バカ学校」「バカ高」

「ヤンキー校」

「バカ女(じょ)」

(学校の俗称とかけているらしい…)

…などと昭和の頃は呼ばれていてw、

一部の人にはすごく有名な学校でした。

偏差値は当然低くて…実は今はもっと低くなっていて…w

 

いえね、本当はお家芸的に有名な部活があるんだけど

それ言っちゃうとバレちゃうのでやめとくことにしました(笑)。

 

制服も(私が通っていた時は)特徴的で、

目立っていたのでよく指を差されましたね…( ;´・_・`)

 

ちなみに…東北上越新幹線の走行中に

思っきし母校が見えます(笑)。 

本当に小さな女子高で、

ファミリー経営でアットホームな学校でした。

 

 

あの高校は、

表立ってはいませんが…たぶん、

ワケありの子がわっさわっさと入学してくる学校だったんだと思うw

 

私もその一人です…いいんです分かっています…(T_T)

個性的な人ばかりだったので飽きませんでしたけどねw

 

言うまでもなく

元ヤンさんだったのかな、という子は多かったです。

あとは…イジメにあっていた風の子や

真性のおバカちゃんや

昔で言うところの尻軽ちゃんや…いろんな子がいました。

 

なので、学校では

生徒たちが傷つかないよう、おかしな(?)道に進まないよう、

保健(体育)の授業をそれはもう丁寧に教えていました。

 

性教育ばっか授業してましたよホントに(爆

 

あとは、就職試験に使われるレベルの知識の取得や

資格取得に向けた授業…。

普通科では味わえなかった、

面白い授業がたくさんありました。

 

今となっては普通のことで

小学生だって楽勝でやっちゃいますが、

私が女子高生だった当初は…パソコンをいじる、

ブラインドタッチ取得、というのを

学校で教えるのはそれなりに珍しいことだったのですが…授業で覚えることができました。

 

 

入学当初、

私は本当に勉強ができなくて、んで

高校行っても最下位に近いんだろーな…ああまた劣等生か…。

 

なんて思っていたのですが、

 

授業内容が自分に合っていたこともあり、

見事に優等生寄りの生活に…いやあれは誰がやったってできる(笑)。

世間で3日かけて教えることを

1ヶ月かけて教えてんだもん、成績よくなって当たり前なんです。

 

それでも変わらなかった人、というのは

本当に勉強に興味がないか

授業内容が合わなかったんだと思う…こればっかはしょうがない…。

(職業科だったので、ちょっと内容が特殊だった)

 

もちろん

みんなが同じレベルの中での話なので

どんぐりの背比べ的な比較だとは分かっていますが、

いやもう自分でびっくりしたね…成績表の数字の変わりっぷりといったら…。

 

 

私は、中学でえらい目にあっていたので

高校、入れる状態ではなかったんですね。

 

でも、その「えらい目」の後に

新たに自分と仲良くしてくれた友人や

この高校を教えてくれて、入学することができるきっかけを与えてくれた先生や

保身第一ではあったけどw、若いなりに気を遣ってくれた担任の先生や

 

当時好きだった人や、

(これがまたイイ男だったんすよ…w)

 

そして…受験の時期に

母が入院と手術をしまして、

体調が悪かったのもあるだろうし

…母はあの性格なもんで勉強を邪魔されたりしたのですがw、

 

それでも、術後の不安な時に

我慢はしていてくれたんだなと思うし

 

勉強なんて出来たもんじゃない環境の中

妹も多感な時期だったから大変だっただろうな、と思うし

父も我慢してくれていたんだろうな…と感じていたし

 

…だから、そういう

自分に何かしてくれた人のためにも

そして、自分が変わるためにも

(えらい目にあったのも、当時は自分が原因だと思っていたので)

せめてこの3年間だけは死ぬ気でやろう、

と決めていたので

何とかそれなりの成績で乗り切れたんだと思っております。

 

ま、最後の最後で

脊椎分離症っていう腰の病気になって

迷惑かけちゃったんだけどね…学校遠かったから大変でした…(ノД`)

 

 

中学の時に、あのままだったら

私は高校も行っていなかったし、行けたとしても

途中で辞めていました。もうこれは断言できます(笑)。

 

その、

自分が自分をどうにかしたいという

きっかけがその時だったんだろうな…と思います。

 

それは人によって違うので

もっと幼い頃かもしれないし、もっと大人になってからかもしれない。

 

 

私は、高校こそ何とか卒業できましたが 

中学はきちんと通えていないし

夢だった職業にも早期に挫折しているし

会社員になっても長続きしないし

アルバイトだって長続きしないこともあったし

 

総じて言うと…持続する力が、とても弱い人間です。

 

その理由は様々なので

すべてが同じ思いとは言えないけど、

こんな自分に…いつも嘆き、

哀しくて情けない思いを感じています。

 

もっと自分の自由にできて、

それなりの稼ぎがある仕事…なんてあるわけなくて(笑)、

あったとしても

その資質を持っているとは到底思えません。

 

続けるも違う道を行くも、どっちも

「自分の心が決めている」

んだよね。

 

そういう意味では、私は

心がグラッグラな人間だという自覚がある。

すぐあきらめちゃったり、すぐやめちゃったりする。

 

高校の時、頑張れたのは

心の中でそれを決めていたからなんだよね。

 

今、なんとなく

自分の感覚の中でのことなのですが…その時なんじゃないかな、と思うのです。

ぶっちゃけますと

婚活もできやしないし彼氏つくるなんて状態じゃないし

(見た目もね…w)

自分の仕事も軌道に乗ってないし親あんなだし家こんなだし

 

…ま、ものすごい状態なんですよw

 

本当は、全部投げ出してしまいたいけれど

こういう時こそ…「心」なんじゃないかな、と。

 

 

できるかどうかわからないけれど、 

そしてまた挫折しちゃうかもしれないけれどw、 

ちょっと、まだ

ビョーキの余波があったりして

完璧にはできないかもしれないけど…やってみます。

 

これからも

ブログ等々でお見苦しい発言をしてしまうかもしれませんが…許してやってください。

 

お読みいただき、ありがとうございました(*^_^*)

 

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