Rie’s My Life

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(現在進行形)

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今年のGWですが、

今年はじめに亡くなった伯父の葬儀に行けなかったことや

2月恒例の祖母の生誕祭(ただお祝いするだけだけど…)に行けなかったことなどもあり

 

…あ、ちなみに

母が病み上がりだった&自身のヘルニア再発が原因で行けなかったわけですが…。

 

なんて理由で

GWに、ちょいと新潟まで行ってきました。

 

楽しかった半面、少々厳しかった面もございまして…しょぼん

 

今回も、相も変わらず自虐的な面が多々あるブログですがw、

よかったら…人生の教訓として読んで行ってもらえたらうれしいです得意げ

 

 

 

5月3日早朝、

車で自宅を出発。

 

新潟、ということは

当然「関越自動車道」を使っていくわけですが…。

 

最初はスイスイと行っていたので意外だなぁ、と感じていたのですが

新座の料金所を超えたあたりから…やってきました、渋滞の列。

 

渋滞の列だけならまだしも

昨今のSA、PA流行りで

駐車場に入るための列ができて、それでさらに混んで…。

 

2km前くらいから、SAに入るために既に並んでいる。

 

でもってやっと入れたと思ったら

トイレにも長い列が続いている…ので、

 

あ、次のSAでトイレ行こう、なんて思うのは甘いのです。

それでは遅いのです。

 

トイレに行きたくなくてもとりあえず行っておく、というぐらいの勢いでいないと

最近のSA(トイレに関してのみ)は攻略できないということを知りました。

 

ん、何故こんなにトイレに関して熱く語るのか、って?

 

 

 

…私自身が

車内で用を足したから

ですさ(爆)。

 

入ろうとしていたSAがあまりにも手前から車の列があり、

じゃあ次のところでいいか、という話になり…。

と思っていたら、

急に車の流れが著しく滞り始め…車が止まってしまったんですよね。

 

時間は刻々と過ぎていく。

 

尿意は刻々と迫ってくる。

 

…ええ、ミニバンの後部座席で用を足しましたさ。

4人で乗っていたので、いちばん後ろは空いておりましたので

それは不幸中の幸いだったと思います。

 

最近は便利なツールがあれこれございまして、

家族が持っていたそういうものを使用させていただいて、何とか危機は脱しました。

 

このあとの私、再起不能…。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

パッカーン…。

 

物心ついてから初めてです、車内で用を足すなんて。

以前、中学生の頃に

過活動膀胱みたいな症状が出まして

ひとつひとつのSAに止めてもらうぐらいの時がありましたが

その時は死ぬ思いをしながらも、頑張って我慢をしていたのに…。

 

それができなかったことや、

家族に迷惑をかけてしまったことや…。

 

うん、凹みましたね。

頑張って普通にしていようとしたけれど、だめでした。

 

その後、妹ちゃんや両親に気を使ってもらって…申し訳ないことをしたな、と思います。

 

 

…という出来事がありつつも、

ものすごく長いトンネルを抜けると…そこは雪国でした。はい。

 

◆りえらいふ◆

 

新潟は、残雪がまだあちこちにあって

(呼び名に地方差があると思いますが)雪捨て場は、

結構な高さの雪山が解けぬままでした。すげえぜ新潟。

 

でも桜が咲いていて、

でも川は雪解け水でかさが上がり、カフェオレ色で

(雨降ってたのもあるけど)

ごうごうと流れている…東京に住んでいる人間的には、不思議な光景でした。

 

山から

だんだんと海側に進むわけですが、

今は田んぼに苗を植える時期なので…田植え機がたくさん出動していました。

新潟の米農家さんのGWは…「田植え」がメインで

GWだからって休んでる人はいない、と聞いたことがあります。

 

母の実家は元、米農家でしたが

(この場合、「自分で植える」という意味)

今は農協にお米づくりを委託しているそうです。

 

海側に近付いてくると…こんどはチューリップです。

以前は両親の実家付近でも沢山チューリップを育てていて、

(兼業農家の伯父は球根屋に勤務していた…)

辺り一面、チューリップだったのですが

今は点々とチューリップ畑があり、車内でそれを見つけるたびに

声を上げていました。

 

いいなあ。北国の春。

 

 東京はいいとこ桜ぐらいで、

その桜も近隣の名所は見尽くしてしまった感もあり…新鮮でした。

 

そして5月4日は、祖母を引き回してwあちこち行ってきました。

 

いつものパターンっちゃいつものパターンなんだけど、

 

日帰り温泉

海沿いをドライブ

いちご狩り

 

という、ちょこっと春らしいこともしてみました。

 

日帰り温泉、行ったのですが…激激激混みで、

祖母と母、そして

私もガッツリ動けるわけじゃないので

結構厳しい感じではあったのですが

 

直前に電話をしたら

条件ありでしたが個室が運よく空いていたりしたので

かなり助かりました。かなり。

 

しかも受付に行ったら

「ただ今混雑していてロッカーが開いていなくて…」と

入場制限をかけられたものの、

予約していることを伝えたら

私たちの分が確保してあったので、本当に助かったのです。

 

 

その温泉施設は

源泉が3つあるという珍しい施設で、

内湯、半露天、露天とも

ぜんぶ違う源泉で、色も肌当たりも違ったので興味深かったです。

(ヘルニアに効くお湯に入りたいので…)

 

ここで、ちょっと反省。

自分の中で「このぐらいかな」と思う時間軸が、私はズレているようです。

そんなことも感覚として分からなくなってしまった自分に、悲しくなりました。

 

…それと、祖母ですが

膝が痛いのもあって、それが悪化しているのか

動きがかなりスローリーになっておりました。

 

水を抜いたり手術すれば緩和されるんだろうけど、

整形外科がそこらにあるわけじゃないし

伯父夫妻もそういう緩和をすすめてくれりゃいいんだけど

残念ながら「医者にはあまりかかりたくない」主義の家なのもあるし、

祖母じたいも

「伯父(息子だわね)に迷惑かけたくない」というのもあり、

悪い意味で相乗効果をなしているので…私達が別の方法論を提示したところで、意味がなかったりします。

 

母は母で

胸の傷を隠して入っていたのですが…それが祖母に見えそうになって

目の前にいる私があたふたする、という一幕もありました。

(兄弟間で「ショックを受けたら困るのでまだ言わない」ということになったらしい)

 

そうとう痛いんだなぁ…祖母の膝。

以前なら内湯から外湯からバブルバス的なお風呂まで

あちこち行って、それを私たちがあわてて追いかける…という感じだったのに

今回は内湯にひとつ、入っただけだった。

 

それが老化なんだろうけど、なんともせつない気分になりました。

 

…が。

 

ものすごく混んでいたので

(一部の人がマナー悪いのもあり…というか妙齢の女性と子供がすごかった…)

 

段々と不機嫌になり、

(ずっと私の隣に子供がいたのですが、どうやら私のロッカーの真下がその子の母親のロッカーだったらしいのよね)

そして個室を借りれる最終時刻が迫り…。

 

コーヒー牛乳飲んでる暇ありませんでした。

頼んだ昼食がなかなか出てこなくて焦りました。

 

芋の子洗い、でした。

わっちゃわっちゃでした。

あんなに混んでる日帰り温泉は初めてでした。

 

そしてその後、軽く海沿いをドライブしました。

哀しみ本線日本海でした。

意味わからなくてすみません。

 

 

当初の予定では、

いちご狩りに最初に行く予定だったのですが

(勘違いして予定と別のいちご農園に到着したはいいけれど「今日はいちごやってません」的な看板があり断念…)

時間の都合上、温泉に最初に行き

帰り道で、運転手である父があえて

最初に行く予定だった農園前を通ったのです。

(どちらにせよ帰る途中にあった)

 

どうしよっか、まだやってるか聞いてみようか、ということになり

妹ちゃんと母が降車し聞きに行ってくれました。

 

はい、もうほとんど

ある意味

私の一存だったんだと思います。

私がいちごを食べたかっただけです。

夕方ではありましたが、

「できる」ということで…勢いでいちご狩りをすることになりました。

 

入口に、やぎさんがいました。

 

◆りえらいふ◆

 

こやぎさん。

 

◆りえらいふ◆

 

ああ…いちごいっぱい…(*´ω`*)

 

◆りえらいふ◆

 

おお、綺麗。

 

◆りえらいふ◆

 

待望の越後姫です。

(越後姫=いちごの銘柄)

 

◆りえらいふ◆

 

その場で食べることはできないシステムだったのですが、

手にもっているカゴに入れ、そのグラム数で価格が決まるシステムだったので

「てんこもりにするとものすごい値段になる」と

妹ちゃんが農園の方から聞いていたらしく、それなりの量をカゴに持ってみました。

 

ふたつのカゴで、ひとつを持って帰って

もうひとつをその場で食べました。(練乳つき)

 

あああああ…越後姫うまい…ヽ(◎´∀`)ノ

 

越後姫、は

新潟弁で「いちごひめ」になります。

新潟では「え」と「い」が逆なので、このネーミングは

それを見越してつけたんだろうなぁ、と推察。

 

写真を撮り忘れてしまったのですが、

全員で一気喰いしたことは言うまでもありません…。

 

5月5日は、東京に戻る日だったのですが

新居に越した母方の伯父のところへ祖母を連れていこう、ということで

行ってから、父方の亡くなった伯父のところや

父の実家に顔を出してきました。

 

母方の伯父は、数年前…視力を失いました。

たぶんうっすら見えているぐらいだと思うのですが、以前の仕事は難しいということで

鍼、きゅう、あん摩の資格を取って

治療院で働くようになりました。

 

で、勤め先付近の公営住宅が当選したので引っ越して、

そこが…すごいんですよこれが!

 

見た目は普通のマンションという感じだし、

エレベーターでまあまあ高層階に叔父は住んでいるので

海の近く、ということもあって

遠ーくに港やら船やらが見える。

ちょこっと移動すると

新潟の市街地、古町にも出れるし

行こうと思えば海にも行けちゃうのですよ…うらやましい…。

 

お家賃は、2DK+クローゼット的な3畳がついて

バストイレ別で2万円台だそう。

 

…驚愕…Σ(゚д゚ノ;)ノ

 

新潟に住もうかな…市街地に近いなら住めそうだな…と本気で思いました(何

 

そして、ゴロー(亡くなった伯父/仮名)のところへ。

 

ああ、亡くなっちゃったんだなぁ…お茶好きでよく振る舞ってくれたなぁ…。

生前はあの天然癒し系のキャラに助けられ、本当にお世話になりました、と念じて(?)きました。

 

父の実家にも、

祖母から私の母へお見舞いをいただいていたので

快気祝い的なものを渡すべく、寄ってみました。

 

祖母と父は血のつながりがなく、

(父は最初の奥さんの子供で、前述の祖母は3番目の奥さんなのです)

祖母も若い頃は

自分が産んだ息子の子供以外は孫じゃない、なんてスタンスだったので

思春期ぐらいまでは嫌な思いをしていたのですが、

最近はそうでもないみたいです。

 

こっちも時間が差し迫っていたので

ちょこっと顔見ただけで帰ってきました。

 

でもって、行きと同じく

渋滞の中をノロノロと、結局最後までスムーズに行くことなく

高速を通ってきました。

 

合流で入れてくれなかった車に対して

家族全員でボロクソに文句言ってたら、それを察知されたのか

車線変更して逃げて行かれてしまったりw、

自分たちの前にいる車が

何故か車間距離を3台分ぐらい取っちゃうような安全運転っぷりに

渋滞のさなか、結構なチャレンジャーだなぁと思ったり

意外と楽しみながらw帰路につきました。

 

運転手でもある父は疲れただろうし

病み上がりの母も結構きつかっただろうし

妹ちゃんも、祖母+母+私のもりこ(=新潟弁で子守り、世話をすること)をさせられて

相当な疲弊があっただろうなぁ…いつも以上に動けなかったのを

申し訳なかったなぁ、と思うと共に家族には感謝、感謝でございます。

 

正直に申しますと、

「いつもと違うことをする」ことは、私にとって

症状の回復が遅れることを意味します。

 

実際、最近

そのような行動を取ったため

それを強く感じておるところでございます。

 

楽しいことを楽しい「だけ」で終わらせられない、

反省会しちゃったり

自己嫌悪で苦しんだり

人にされたことでいつまでもダメージが回復できなかったり、

ということを頭の中でぐるぐるさせています。

 

自業自得とは言え

こんな自分、本当に本当に嫌になります。

 

いつになったら抜け出せるんだろう、と思います。

 

でも…「瞬間」を

誰かと共有できる、というのは

財産なんだと思います。

 

 

 

私は、私として生きようと思います。

 

うまく言えませんが、

自分の回復を…第一に考えて

生きていこうと思います。

まずはそこから、だと思うので。

 

いい意味でも悪い意味でも

「自己中」

になりたいと思います。

 

総じて自虐ブログでしたがw、

もしお立ち寄りいただいた方がおられましたら

感謝いたします。

 

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