Rie’s My Life

rieslifeが駆け抜けた
応援活動の歴史

(現在進行形)

怒涛のグチ

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かなりお久しぶりの更新です。

前回の記事から一年近く経ってしまったこのブログですが、
相変わらず
懲りずにもにょもにょとネガティブな文面を育てて
ここに掲示させてもらおうと思います。

…実は

Twitterにつらつら連続ツイートを書き連ねたら
(リプでぶら下げる形にした)

途中で追加できなくなった…制限でもかかってしまったのだろうか。

長文はやはりブログのほうがいいな…と思い
移動させてきた次第です…。

爆発

今日、母が出かけて家で1人になった時に

ああ今なら逝けるかもしれない、

とふと思ったんですよね。ごくごく自然に。
メンがかなりの感じでヘラりました。

駅のホームに着いて、
なんかうまいこと電車到着時刻の空いている時間帯だったみたいで、
ぼーっと待って、
あの方が先日いた場所が見たい(とある推しがロケに来ていた)な…。

と思ったら、
電車に乗り込んでいた。

その場所を見つけて、
しばらく見ていた。

用事は終わったので、少し街を歩きました。

で、なぜか
ひとりカラオケに行くことにしたわけです。

「家事」という義務

消えてしまいたくなった理由、というのが
無いわけではない。

早い話が
親の言動が加齢などで以前のようにはいかなくなってきていて…。

おそらく
そもそもの性格の悪い部分が、
若い頃は理性で抑えていたんだろうけど
できなくなってきているのだと思う。

同じ体験をしてもらうと理解してくださる方も多いと思うのですが、
ぶっちゃけ生き地獄です。

今日の夜も、
私がとある調味料を食卓に出し忘れた際に
父は何も言わず
わざとその場にある別の調味料を使おうとして気付かせる、

みたいなことをされて

随分と意地の悪い遠回しなやり方をするなあ、

そんなに私が調味料を持ってこなかったことを責めたいのか?
思い通りにならねえから気に入らなかったか?

と思ったし、

ウケ狙いだとしたらクソつまんねえ、
とも思ってしまった。

…笑ってごまかしたけど、
本当はすごく嫌だった。

悲しかった。

それと、手が震えた(心が乱れるとこの症状が出る)。

その場では
冗談っぽく振る舞ったけど、
己を掻き毟りたくなるくらいの感情だった。

例えば、具体的に
その調味料を持ってきて、と
私や他の家族に言うとか、

何なら
自分でその調味料を取りに行ってもいいわけなんですけど、

…なんで私がやるという前提なんだ?

ということ、それと
不快を不快として示せなかった
自分の気の小ささに、更に落ち込んだ。

家事全般、

料理やお皿洗いやその他諸々、
というのは

家族に所属している全員の義務」だ。

誰某が収入がないから、
女だから、
家にいるから、
…とかそういうのは

本来、全部関係ないんですよね。

そういう比較のしかたで同居人にひとつのことを押し付けるのは、
人権侵害に等しい考え方だ。

家庭が存在する以上は
その全員に義務があるし、
誰かがやらなきゃいけない。

逃げられないんです。

…ということを若い頃は知らなくて、
ずっと母がやるものだ、
とばかりに押し付けていた。

申し訳ないことをしたな、とも思う。

そして、今の母を見ていると
その頃の仕返しをされているのかも、と思ったりもする。

現在の母は、
気分が乗らないと家事はしなくなった。

例えばキッチンなんかだと
好きなように汚い使い方をして、そのまま。

お皿の洗い残しもひどく、
結局私が二度手間でやることになるので

それなら私がやったほうが早い、というような状態。

やらない言い訳は許されない

病気だから、
疲れているから、
働いているから、
家庭に金銭を提供しているから、
という

「理由は通用しない」。

全員が病気になったとしても、
誰かがやらなければならない。

…ことなんですけど
家族はまったく分かっていないようで…

というか
私に押し付けて平気なようで…とても残念です。

それは、
「私が日々遊んで怠けて暮らしている」
という前提が
頭の中にあるからこそ、
私に押し付けることができるんですよね。

そういう風に見えるのは当然だと思うし、
以前からずっとそう思われているのも
悲しいけれど気付いていたし、

私も
外で働く家族や
病気の家族よりは
「私のほうが疲れが多少マシだろう」という気持ちだけで
ずっと何とか動いてきたんですけど、

…そろそろ、限界です。

私の様子や空気を読んで
察して助けてくれ、とは思わないけど

つらいと、声を出せなくなる。
言えなくなってくるんですよね。

家事をずっとやっていると、
DV被害を受けている側の心理に近くなっていく。

私は怠けているから
そんなことを言う権利はないんだ、

私なんて、
私は何もできないから、
私が黙って無理すれば家の中はうまくいく、

と自己卑下して
家事がつらいのに、つらいと言えなくなる。

日頃は
ゆるーくだらしなくデリバリーを頼んだり
夕飯を買ってきてもらったりするけれど、

見た目には出ないし
何なら怠けているようにしか見えないだろうけど

…あれは、末期に随分と近く
SOSを出す行為の一種だったりする。

そもそも
私の心身は、
家の中のことで指揮など取れる状態ではない。

デリバリーのメニューなども含め、
こうしようああしよう、と
案や策を練ることそのものができない状態なのに

私がやらなければ、と
無理くり捻り出していたのですが

もう無理だ、という波がいつもやってくる。

私が今できないことを
いざやってみた時、
「こんなん楽勝じゃん」と思う人は多いと思う。

でもそれ条件が違うじゃん、となる。

困った親、
住んでいる場所、
この年齢、
身体の動けなさ加減、まで

私のことを完璧にコピーした上で
「楽勝じゃん」と果たして言えるかどうか…。

非常に難しい、ということは
体感した者として言っておこうと思う。

この状態にハマると、
精神的に意欲みたいなものが奪われるんですよ。

それを無理やり
趣味でモチベーションを上げて、
現在(推し関連で)わりと上がっているはずなのに
それでもこうなるということは
相当まずい状態なんだろうな…と思ったので

気持ちを振り絞り、文字を打った。

吐き出したところで何も解決してはいないし、
私自身に一切問題がないわけではない。

問題だらけ、
何なら問題だけで出来ている人間だ。

アップデートの必要性

どんなに消えたくても
どんなにこの人生をやめたくても、

できないのがつらい。

これは卑下でもなんでもないんだけど、
私がここにいないほうが
色々うまいこといくんですよね…。

推しの皆様も、
わたし1人がいなくなったくらいで
痛くもかゆくもないのは知っているし、

周囲のことを思うと、
建設的に考えると、

「いないほうがいい」。

家事的には
やる人がいなくなって不便になるかもしれないけど、

家族がああして
私の人生を搾取しているのに平気でいる状態、
それが私に対して
どんなことをしているか、気付いてもらうためには 
そのぐらいしないとダメなんだろうな…

とも思っている。

私は母ではないし、

母の時のようにはいかないし、

母の時と同じにしてはならない。

その組織の中で
誰かひとりを犠牲にする形は、間違っている。

…という明確な意思がある以上、
私はどんな風に思われようと
駄々をこね続ける。

\ やらないことにしました /

勝手に引用させてもらいました。
不都合がありましたらお知らせください。

私に家族が「ざまあみろ」と言っている、
今はそういう状態だと思っています。

あなたができないから他の家族に負担がかかる、
あなたが自己責任でやるべきことなんだから
失敗したら自分で何とかしてね、

今まで好き勝手に生きてきたんだから、と。

父にも実際、数年前に
私がちょっとした失敗をしたら
思わず心の声が出てしまったのでしょう、
「ざまあみろ」と言われたことがあります。
(その後「ハッ、やばい」みたいな顔はしてたけど)

ああこの人
普段は黙っているから気付かないけど
常にこういう心持ちで生きているんだ、
常に人を馬鹿にしているんだ、

でも
それを表に出してしまうと
他者と交流できないから隠しているだけなんだな、

…と、
その時、ようは大人になってから気付きました。

黙っていると、何も分からないものですね。
自分の親なんだから
ちょっと変わってはいるけれど常人寄りだろう、
と勝手に思い込んでいたので
その時に失望したのをよく覚えています。

もう、自分が動けなくて
ごはんが作れない、家事ができない、
お皿が洗えない、などの状態になったら

デリバリーも考えないし、
何とかしなきゃとパニックも起こさないし、
心身にも過剰な負担をかけない。

やらないことにしました。

片づける系のものは
翌日以降に
気が付いたらやりゃいいんですよ。

その時よりも不調ではない時に。

やりたくないならやらないだけだし。

ごはんも各自で用意してもらえばいい。
私は不調だから食べなければいい。

これを
メンヘラだの毒だのと思いたい人は思えばいい。

「昔はこんな人じゃなかったのに…」と
都合のいい人だった私じゃなくなったことを嘆けばいい。

実際そうなんだろうから、
事実を無理に捻じ曲げるつもりはない。

それを「私がやるべき仕事だ」と
思わないようにしました。

家族には申し訳ないのですが、
私のことを搾取して平気な人たちに対して
ずっと労働力を提供するのが、嫌になりました。

お給料も
趣味のものを現物で買ってるんだからいいじゃないか、
と思われがちなんだけど

そういう問題じゃない。問題点はそこじゃない。

給料や時間と
「家事での労働力」は
そもそも同じ天秤には乗らない。
まったく次元の違うものだから。

家族の各々が、
抱えている環境が大変なのは分かります。
仕事するだけで精一杯で、
家に帰ってくると動けなくなるのも分かります。

私もフルタイムで仕事をしている時はそうなるし、
「家のため」にお金を稼ぎに行ってくれているわけで、

…だからこそ私は、
つらいことを言葉にできなかった。

つらさに声をあげる、
できんもんはできん、やらない、
…というのを私がすることで
「めんどくせえなあ」と思う家族がいるのであれば、

それは
「相手の人生を搾取している」
「相手を侵害している」

ことの証拠になる。

「今まで誰かが犠牲になってそれをしていた」
ということの証明にもなる。

できないならできないでいいし、
やらなくていい。

…それを私が実行してもいいわけですよね。
その権利はあるわけですよね。

仕事をしている人だけの特権ではないですよね。

家族が、自分なりに
私が動けないことで、
色々気遣ってくれているのは知っていて
それには本当に感謝しています。

ただ、私が
思った以上に動けないことに
気付いてもらえていない
というだけの話で、

そこを
家族の額面通り、予想に近付けようとすることなく
無理に動くのをやめます、ということです。

そりゃ
家事バリバリにやって
家の中が整ってるのが理想だし
そっちのほうが気分がいいのも知っているけれど、

できねえもんはしょうがない。

家族のために、
というのも私はやめます。
それやると無理しすぎて心身が壊れていくから。

だから
他の家族もそうしてもらっていいし、
私ができないから何かしてくれという要求は一切ない。

ただ

その時に

「今の状態では動けません」と宣言するだけです。

何もしなくていいと思います。

大人なのだから、
みんな自分で調達できるし
解決もできますよね。

要介護にでもなれば話は別ですが、
まだ親は買い物もできるし歩くこともできる。

家族というチームだから
絶対にまとまらなければならない、

…というのであれば、

私を省いてやってもらえたら、と思う。

私がこれ以上壊れても
誰も責任とってくれないし、
動けなくなったら
私のことを今以上に介助する必要が出てくる。

付き添いが要るかもしれないし、
病院やその他施設に行くことになるかもしれない。

収入も削られる。

それよりはこうして
私のワガママをひとつ発動する形のほうがマシだと思っている。

無意識の搾取をする側からは、
そうとしか思ってもらえないだろうから、それでいい。

個人的に、家庭に対する
「美学」のようなものがあって
それに沿って過ごしてきたのですが、
(だからこそ動ける範囲でそれをしようとしていたのですが)

もう、壊してしまおうと思う。

たぶん、それを持っていても
これから親が老いると共に
ガンガンぶっ壊されるだろうから、
今のうちに壊してしまえ、という思いもあったりなかったり。

とにかく、もう無理です。

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