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みなさま、暑い中いかがお過ごしでしょうか。
当方関東住まいなもので、
暑いのに青い空が拝める日数も少なく、
グレーな空が日々見える中で
不快指数の高さに耐えながら何とか生きることができております。
先ほど、ツイートを連投したのですが
何が何やら自分でもよく分からなくなってしまったこともあって
こちらのブログに、
ちょっと書いておきたいと思います。
誰が見てもよく分からない文面ではありますが、
私の現況をメモっておきたい気分になりましてね…恐縮でございます…。
ちょっとずつ、
自分の価値観が固まってきた。
男尊女卑アレルギー、
毒親持ち、
社会的にマイノリティ要素満載の人間専用の、価値観が。
一般的な家庭に育ってきた男性、もしくは
「親の毒」が理解できない男性とは
関わることができない。できなくなった。
今さらではありますが。
理解してもらえない、推し量ってすらもらえない、
というのは
つらすぎるから。
若い頃は、自分が
「(男性から)選んでもらう女性」になろうと
努力(女性らしい振る舞い、女子力、モテ要素の底上げなど)
をしてしまった時間を取り戻したい衝動に駆られる。
えらい遠回りしたなあと感じる。
「選んでもらう」とか
本来ならおかしいんだよね。
性別関係なく等しい人権を有しているはずなのに、
男性が値踏みして女性を「選ぶ」という社会。
どんだけ自分を卑下してんだよ、
なぜ男性優位の考えの元に
話を進めようとしてんだよ、という話で。
少し前まで、私は
「守ってもらいたかった」し
「自分を認めて欲しかった」ので、
それを満たしてくれそうな人ばかり好きになっていて…。
体型のせいもあるのでしょうか。
私は丸っこい以前に
骨格が異様に立派で、
そんじょそこらの平均的な男性と比べても
「ガタイがいい」。
その反動なのか、当時は
父性というか、
自分を(物理的にも精神的にも)包んでくれそうなというか、
そういう要素を相手に要求していたんだけど
…それではアカンのだよな、と最近思うようになった。
(あくまでも私の場合です)
総じて…父性的要素を持つ男性というのは、
一見家庭的でいいかもしれないけど
男尊女卑が根っこにある人が多い。
相手がどんな生い立ちでも、
価値観から何から
私を自分に寄せたがる人が多かったように思う。
私の経験則での物言いになってしまうけれど、
そういう人が多かったんですよね実際…。
私は…最終的に
「自分の辞書にないものは認めない」というか、
私という存在をはじめ、
社会にころがっている「異質」を
容認・共存できない人とは関われない体質になっていた。
数年前、
パートナーとかではないのですが
自分の人生において大切な人に
私の苦しみを否定されたできごとがあって、
あ、この人違うわ、
ここは私の居場所ではない、
…そう感じるようになった。
でも、長年の情というか
なんというか、
わりと容認できていたというか、
そういう感じで縁を切ることなく日々を暮らしていた。
その相手というのは、
恋愛も結婚も友人も何もかもの対象ではないんだけど
「その関係性」から0.5歩くらい踏み込んだ間柄だったように思う。
めっちゃ近しいわけでもなく、
でも
初対面というわけでもなく、という感じ。
顔見知り程度。みたいな。
「女はこうあるべき」という価値観の上では
いい思いをさせてくれたし、
いいものを見せて聴かせてもらっていた。
見た目だけで値踏みして
「こいつは対象外」みたいにする男性も多いからね…。
そういう環境、出会いにはとても感謝していて、
運も良いなと思っていて、
それこそ死にそうな思いをしていた時に
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も救ってもらった。
感謝してもしきれない。
お返しする方法が私にはひとつしかなかったから、
自分のできる範囲でそれを続けていた、という状態だった。
まだまだ全然、返せていない。
足りていない。
でもたぶん、
どんなに返しても返しきれないんですよね。
質量が私の返しているそれとは全然違う。
一生どころか20回くらい転生して返しても、足りないのだと思う。
…だから、この件に関しては、
意地になって全部返そうとするのを、諦めることにしました。
こう思うきっかけのようなものが最近あって、
でもそれは
私が勝手にきっかけ化させただけで、
以前からずっと燻っていた。
本当は、
当時抱えていた
希死念慮…平たく言うと
「しにたい自分の気持ち」を、
認めて欲しかったのだと気付いた。
理想論になってしまうけれど、
正直なところ
「死ぬとか言うな」「そんなこと言われたら悲しい」
という言葉よりも
そのくらい苦しいことが
世の中にはあるんだね、
今ちょうど君はその状態なんだね、
…と、思って欲しかった。
当然、その
私の身勝手な期待は…裏切られた。
「その時」は
相手が私の発言を否定したことで
自己肯定感が満たされるような気がしたけれど、
実はそうではない。なかった。
相手が
そういう言葉を聞き慣れていないし
世間的には嫌な言葉だったから
聞きたくなかっただけ、
それだけだった。
私のことを気遣ってくれたわけではなかった。
そういうことに免疫がない人であれば
否定心も拒否感もあるだろうし、
何なら軽くパニックを起こすかもしれない。
そこで、気付いたわけです。
この人には…この範囲、ジャンルの
苦しみはたぶん理解できないのだろう、と知った。
これを推し量ってくれる人じゃないと
私は交流できない、と。
それがどうしても無理な人というのはいて、
このブログとは別で、そういう存在が私にはいた。
たまたまそれが友人だったんですね。
その時…病気が悪化してしまったので
苦渋の選択で、
連絡の一切合切を、断つことになった。
話を戻します。
…そりゃ分からんよな、と
当事者でもないのに理解しろというのは酷だよな、と
今になると思う。
でも
そのできごとで傷ついたのは事実だった。
それが、
先日のとある出来事をきっかけに
一生懸命、圧をかけて蓋をしていたものが
耐え切れず…蓋が破壊されて飛んで行った。
中身が勢いよく噴出した。
妄想して期待していた自分の弱さや、
確かによくしてもらったけど
それは情ではなく業務の一環だったのだな、
という事実を認めることにした。
本当は気付いていたんだけど、
メンがヘラっている私には苦行すぎたので…ずっと、
保留にしてしまっていた。
でも、良いきっかけになった。
今までのような興味の持ち方をやめることにした。
…結局、
手を胸の前でアーメンのように組んで
「それでも私は彼を支えるわ…」みたいな、
そういう日和った女心を捨てることにしました。
それ持ってた方がちょっとはモテるのかもしれないけれど、
その必要は、もうない。
私には、いい意味で何もないから。
当時、向こうは向こうで
数少なくなった存在を減らしたくなかったのだろうし、
私は私で苦しい時期にお世話になりました、ありがとう、という
そういう関係性だったわけで…
当時は
それでバランスが取れていて「有り」だったんだけど、
今の私にはフィットしないので
…一旦、前の関係性にさようなら、という気持ちでいます。
以上になります。
何が何だかよく分からない文面になってしまいましたが、
ちょっとこの場所を利用させてもらいました。
ありがとうございました。